こんにちは、自問自答ファッション通信です。
突然ですが、私はファッションが得意で運動が苦手です。むしろちょっとスポーツに対して憎しみすらありました。
小学生のころからスポーツがまるっきりできなかった私は、劣等感からスポーツというものをまるっと憎んでいました。
しかし、大人になってやっと分かったのですが、スポーツって「争い」じゃない「文化」なんですよね。オリンピック、パラリンピックは、国同士の「戦い」ではなくて、人間の可能性がどこまでいけるのかを見て、ともに喜び合うイベントです。人間の可能性の頂点を見て「私と同じ生物である人間は、ここまでこれたんだね」というのを賞賛する会なんですよね。

いままでアスリートとの距離が遠すぎて気がつきませんでした。
私がそれを感じたのは「ラグジュアリーブランド」への拒否反応を見せる人がいらっしゃった時でした。
元からお金を持った選ばれた人しか買えないんでしょ
中身がないから服にお金かけるんでしょ
おしゃれが得意な人って苦手な人を馬鹿にするからイヤ!
私の人生に必要ない、興味ないわ
話を聞くたびに勝手に胸を痛めていました。しかし、よくよく考えると、スポーツに嫌悪感がある自分によく似ていたのです。
元から運動神経がいい人しか関係ないんでしょ
中身がないから運動するしかないんでしょ
スポーツが得意な人って苦手な人を馬鹿にするからイヤ!
私の人生に必要ない、興味ないわ
己のことながら、持たざる者の負け惜しみ感が甚だしい。(私ほどスポーツ嫌いな人も珍しいと思いますが笑)特に思春期の時は劣等感から激しい拒否反応を見せていました。
しかしですね、ラグジュアリーブランドってスポーツと同じ「文化」なんですよ。

こんなに美しいバッグを人間が作れるのか。どれだけ時間がかかって、どれだけ技術力を磨いて、何年もメソッドを引き継いでいてこんなに尊いものがあるだろうかと。「私と同じ生物である人間は、こんなに美しいものを作れるまでになったんだね」と涙を流すという、まさに世界平和です。
買える買えないは関係ないです。
だってあなたはオリンピック出たことがありますか?出れなくても見たり、応援したり、感動したりすることでしょう。オリンピックを観戦する人、寄付する人は余裕があって選手を応援しているだけのこと。ラグジュアリーブランドを買っている人は余裕があって職人を応援しているだけのこと。
どちらも「人間賛歌」に他なりません。

「オリンピック出られないから見ない」じゃなくて「ラグジュアリーブランド持てないから見ない」じゃなくて自分のパワーの最高峰ってどんなもの何だろうって。
「明日、私がオリンピック強化選手に選ばれたら」
「明日、私が社長就任になったら」って考えたら、
トレーニングも着るものも全て変わるはずです。
「自分なんか」って思わずに、まずは「自分の最大値ファッション」を見つけてみましょう。きっとオリンピックを見るくらい熱狂できるはずです。
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